0.信頼関係は「関係」って話
学童クラブで働きだした新人の頃、指示の通らない子どもを見ては、
よく聞くのに、
自分が言うと
怒るまでふざけてるんだろ?
👆ってよく思ってました。
今なら答えは明確で"信頼関係"がなかったから。
子どもからはもちろん慕われてもないし、自分も子どもを本当の意味で信頼してなかった。
信頼"関係"なので、
✔ 子どもから信頼されることと、
✔ 子どもを信頼すること
どちらも必要ってことです。
大人と子どもも、年齢が違っても人間関係だから、
子どもから信頼されない!って思ってるうちは、あなたも子どもをいろんな面で信頼してませんよ、実際。。
ちょっと注意してやめないから、畳み掛けるようにしつこく言う。
子どもからすると
・うるさいなあ
・後でやろうと思ってたのに
・信用されてないんだな
無意識にしつこい大人を嫌ってきます。
ここで大人に足りないのは「一度言えば後からやってくれるだろう」ちょっとだけ信頼してみて、待ってあげる姿勢が足りない。
信用してないから待ってあげられない。
理解力が弱い子には何度も言うとか、絵を見せて伝えるとか、本当に危ない場面だったらしつこくしちゃう、とか個別場面のことを言ってるんじゃないですよ。
すべての行動の、全ての場面に通じることの例として、声かけても動かない子どもの場面を出しただけです。
信頼してないと、いろんな場面の大人の言動から、"お前のこと、実は信頼してないんだぜ"みたいのがにじみ出てくるって話。
さっきの場面だと「待てない」「しつこくする」みたいな行動がそれです。
↑ーここまでは大人が子どもを信頼する、しないの話。
↓ーここからは子どもから大人への信頼について。
大人の方はいろんな思いをもって子どもに接していますね。
「大人の私が言うことは多分正しいので、言った通りにして欲しい」と願い、
「言われた通りにしてくれる」期待を持つ。
でも子どもは思い通りには動かないし、やらない。
そんなときは子どもの方が、大人からの願いや信頼を裏切った形になります。
そこに気づいてもらう。
待ってからやっぱりやめないんなら、その時にこう言えばいい
「もう待てないよ、ずっと待ってたのに」
大人は信用してたのに、子どもから信頼を裏切られた感じを伝えます。
あなたは大人なんだから少しは譲歩、大人の方から道を閉ざしちゃダメってことです。
道ってのは、大人の方は子どもを信頼してるってことを崩さない態度のこと。
子どもからの信頼されるのを待って、大人が"じゃあ信頼してあげる"、じゃダメって心構えのはなし。
それだと相手によっては、永遠に信頼関係を作ることはないでしょう。
お互いさまってことにゃ
1.言うことを聞かせる関わりは×
(1)子どもは、大人によって生命を守られ、愛され、信頼されることにより、情緒が安定するとともに、人への信頼感が育つ。
そして、身近な環境(人、自然、事物、出来事など)に興味や関心を持ち、自発的に働きかけるなど、次第に自我が芽生える
保育所保育指針 厚生労働省より引用(PDF)
信頼関係は乳幼児からずっと大切で、それは人との関わりの基盤となるもの。
子どもと関わる上では学校でも保育園でも、学童クラブでも、家庭でも、子どもとの信頼関係を築くことは必須です。
👆って感じのことがあらゆる書物に書いてあります。
なんで必要なのか?って、その辺は2章でお話するとして、
ここは信頼関係の基礎の話、
言うことを聞かせる関わりは×
についてを先に進みます。
学童クラブ指導員や小中高の教師、保護者の中には、残念ながら制圧するような感じで指導に当たる方もいますね。
都合良い「しつけや指導」という言葉を使って、それこそ上から押さえつけるように。
私はよいと思いません。
家庭でもそうだけど、押さえつけられたり精神的に威圧されている子は発達に問題が出てくることさえあります。
ひどいしつけは虐待や不適切保育(マルトリートメント)に当たるかもしれない。
虐待は子どもの脳を変えていく本も出ています。
【「適切な指導」と「不適切な指導」の境界】子どもへの懲戒権とは
子どもはどこかで押さえ付けられると、日常的なバランスを保つため、我慢していた分をどこかで発散させるもの。
それが家庭か、学校か、友達同士の遊びの中なのか。
って話だけど
学童では大暴れしているわ
こんなのは、不必要に押さえつけるような大人や環境がどこかにあるサインです。
そして強く押さえつけられた分だけ、発散するときの爆発力が大きくなります。
特に学童クラブや保育園は家庭支援の場なので、施設で押さえつけているから落ち着いていて、家で爆発していたら本末転倒ですね。
学校でも同じこと。
担任が厳しいだけで甘えの部分がないと、放課後に来る学童クラブや家庭で発散します。
学童クラブからしたら迷惑な話です。。
本音が聞こえましたか?(^^;)
発散のしかたも、"うっぷんを晴らす"ような感じになる事が多いですね。
子どもを預かっている大人の視点だと、制圧するような指導の様子が、子どもから親へ伝わることでもいい影響はありません。
ネット検索するとたくさん出てくる"問題のある保育士や教師/果ては部活のコーチ"
関連した話はだいたいは不適切な指導が原因。
もちろん必要なことは、理解力や自制心が足りない子どもとは言え、できる範囲で守ってもらう必要があります。
でも上からの裁きみたいな指導が必要になる場面は本来はとても限定的で、高学年男子たちが徒党を組んでいるような場合くらい。
それ以外は通常の対等または下からの関わりで事足ります。
言うことを聞かせる上からの関わりでは、その場だけは従うようになります。
だけど年齢が上がるほど、その反動が大きくなってくる。
言うことを聞かせたいとは、伝えたいこと/教えたいことなど大人側の願いがあると思います。
そして「制圧するような方法」では、内心反発しながら表面上はやるので、うまくいったように見えます。
人の様子を見て態度を変えること「だけ」を学んだからです。
親がこの「上からの裁き的指導」を逃げ場のない家庭で繰り返すとどうなるか。。
➔
怒られて片付けはできるようになったけど、将来に摂食障害を発症する可能性が上がるとか。
👆どう思いますか?
言うことを聞かせる、制圧する、叱りつけて言うことを聞かせるような、声だけが大きい関わりは×ってことでした。
"信頼される"とは縁遠い話だと思いませんか?。
2.伝えたいことがあるなら子どもに信頼される必要あり
信用してない人の話を
あなたは聞きますか?
聞きたいですか?
何かすると前ぶれなく怒鳴って怒ってくる、うるさいを通り越して怖いですよね。
聞いているふりをして内心ではバカにしたり、説教の時間が過ぎることだけを気にして内容も理解しようとしない。
のび太がママの説教を早送りでやり過ごすあれ。
子どもは正直だから、その辺りがすぐに態度に出ます。
そして話を聞いていない態度を見て、
聞くわけがない!
ところで、あなたが憧れている人はいますか?
芸能人でも、その道のプロでも誰でもいいです。
じゃあ子どもの話。
例えば野球が大好きな活発な◯◯君。
低学年ながら野球クラブに入って頑張ってる子。
口を開けば野球の話、
「昨日の試合は誰がすごかった」とか
「あそこでエラーするかなあ」とか。
活発な反面、感情のコントロールが下手、
けんかになるとすぐ相手を叩いちゃう。
けんかで手を出すたびに、
話しても叱っても、暴力を繰り返しちゃう。
どうしたものかなと困る回りの大人。
そんなある日、◯◯君の目の前に突然イチローが現れた。
「えっ、あのイチロー」
本人がまだ固まってるさなか
「きみ、けんかすると相手を叩いちゃうそうだね。学童の先生も困ってるって?
スポーツマンは暴力はいけないよ。」
「相手も悲しいし、僕も悲しいな。
軽はずみに人を叩いちゃわないよう、お守りにこれをあげるよ」
サインボールをくれた!
👆すごく効きそうじゃないですか?
まあこれは信頼ってより憧れ。
人の言うことをちゃんと聞くってのは、信頼されてるとか、憧れの対象だったり、特別な人じゃないとダメってことです。
伝えたいことや教えたいことがあるなら、憧れさせるのがとても有効。
だけどなかなか難しいですよね。
だから一般人たるあなたは最低限、信頼される必要があるってことです。